2009/6/27 土曜日 – 20:49:32
前にも書いた空手ネタ。
自衛隊の方々と練習するようになって、組み手の楽しさを思い出してきた。
自分より強い人がいるというのもあるけど、いろんなタイプの人がいるのがイイ。
リズム組み手(←勝手にこう呼んでいるだけ)のように鋭い技を連続で出す人。
極真組み手のようにどんどん前に出てくる人。
私は体が比較的小さいというのもあって、ポイントを取られようがガンガン前に出てくる人が苦手。
昇段試験で外国の選手と戦ったのを思い出した。
外国の選手は体が規格外の人が多い。180cm越えでマイクベルナルドみたいなマッチョと対戦するときは泣きたくなる。
・・・なんとかするけど。
久しぶりに自分の苦手なタイプがいることで、攻略法を妄想して次回実践するのが楽しみ。
いろいろ試そう。
2009/6/21 日曜日 – 1:28:05
造形の簡略化と慈愛に満ちた「微笑」…
驚異的な作品数
円空様は、生涯で12万体あまりの仏像を製作されました
64歳で仏様になられた為
単純計算の上では年間千八百体以上…
驚愕の製作量を誇る円空ですが
元禄3年
現在の岐阜県高山市で製作した今上皇帝像の背面に「十マ仏作己」(10万体造顕を達成した)と記されていた為
生涯におよぶその作品数は12万体と言われます…
「円空仏(えんくうぶつ)」
と称される彼の彫刻作品は…
300年前の古の前衛表現でありながら
今も尚…類を見ない孤高の存在感を示しています
微笑の神通力
観音菩薩や地蔵菩薩といった仏様は
慈愛に満ちた微笑を口元に浮かべた表情で表現されるのが一般的とされております
それはヨーロッパにおける聖書と同じく
仏教において登場する仏様の役割からなるものです
しかし
不動明王や仁王像等の
厳しい怒りの表情で表現される事が一般的な仏様でさえ
円空仏には
微笑みを浮かべています…
作家としての変容性からか
造形の簡略化が進み…
そこに様式に捕らわれない真の円空の凄みを感じさせます
荒削りながらも
現在でもここまで簡略化した仏像は珍しいと思われます
木目や節や割れ目といった木の持つ本来の姿のまま
仏像の量産を可能にし
本格的な仏閣に奉る仏像だけでなく、
多くの人々が身近に拝観できる仏像も提供しました
道端に転がっていそうな木の破片を削った
「木っ端仏」も円空は多く製作していますが
それらが飢えや疫病や災害に苦しんでいた当時の民衆に
安らぎを与えてくれたことは想像に難くありません
木の破片から生まれた荒削りな仏像にもかかわらず、
その多くは捨てられることなく現在まで大切に受け継がれています
美濃国(現在の岐阜県)に生まれた円空は
早くから小僧として仏門に入りましたが
長良川の洪水で母を失ったのを契機に寺院を出て窟ごもりや山岳修行するようになりました
そして、美濃国を拠点としながらも修行を重るため全国を行脚し
各地の寺院の住職や民衆たちと交流を深めました
そして民衆を苦しみから救うため
悩み苦しむ人には菩薩像を
病に苦しむ人には薬師像を
災害に苦しむ人には不動明王像を
干ばつに苦しむ人には竜王像を
限りある命を救うために阿弥陀像を
刻み歩いたようです
その足跡は美濃・飛騨・近隣の愛知・滋賀・長野などにとどまらず
近畿・関東・東北・北海道にまで及びます
やがて、一所不住ともいわれた円空は
自ら再興した岐阜県関市の弥勒寺に落ち着くようになり
そこを拠点に仏像製作の旅を続けました
その頃には円空にも弟子が付くようになっていました
誓願の12万体の仏像を彫り還暦を迎えた円空は
母の命を奪った長良川を入定の地と決め
弥勒寺境内の同川の畔で即身仏として素懐を遂げました
円空(えんくう、寛永9年(1632年) - 元禄8年7月15日(1695年8月24日))は、江戸時代前期の天台宗の僧であり、「円空仏」とも呼ばれる独特の作風を持った仏教彫刻で知られる
生涯に12万体の仏像を彫ったといわれ、飛騨、美濃地方の各地に円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている
うち岐阜県内にあるものだけで1,000体を数える。多作だが、雑なものはなく、作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている
円空仏はゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴で、一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てている
2009/6/15 月曜日 – 1:27:59
前回のつづき。
部屋で一人でテレビを見るのも寂しいので、少し行動範囲を広げてみよう。
ということで、寮の中を探索することにしたボク。
衣食住。ボクが中国で生きていくために日常で意識していかないといけないことであった。
住むところは、寮があるのでOK。
着るものは、この夏を乗り切るための服はすべて日本から持ってきた(UNIQLO)。
しかし、着たものは洗わないといけない。寮の部屋にはベッドとテレビとエアコンとユニットバスのみ。
洗濯機がない。。。
そして食べ物。親からいただいた仕送りを頼りに中国で暮らしていくためには、外食をしてはいけない。
自炊しないと早々に資金が尽きてしまう。
寮には共同のキッチンがあり、共同の洗濯機が用意されていた。
キッチンも洗濯機も各階に1つ備えてあった。
キッチンは15~20畳ぐらいの広さで、両隣は別の部屋だが、奥には外に面した窓が備え付けてあって光が差し込み心持ち明るかった。
窓ガラスの向こうには、本国の学生らが通う校舎が臨む。
窓の一角の窓ガラスは無造作に切り取られ、換気扇がはめ込まれてあった。
セロテープのようなもので雑に換気扇と窓ガラスの隙間が補修されているのは特に珍しい光景ではない。
窓に換気扇が付いているので、その下である窓際にはガスコンロが設置されていた。
古めかしいコンロには、汚ならしいガスホースがむき出しの状態になっているが、ひねりをひねればちゃんと火が点く。
流しは意外に広い。この部屋の右側で、隣の部屋とを仕切る壁沿いにドーンと流しがある。流し台ももちろんある。
流し台にはもちろん蛇口があり、そこで野菜も洗える。蛇口にはホースがついている。
ホースの先は二層式洗濯機につながっている。キッチンの真ん中には洗濯機がある。
料理がつくれ、洗濯ができる。もはや文句の付け所はありません。
あと揃えるべきものは料理をするための食器類と、洗濯するための洗剤。
嬉しいことに部屋には大きめの食器棚がドンとあり、包丁やら鍋やら食器やらが置かれている。
悲しいことに食器棚には張り紙がしてあり、なにやら中国語で書いてある。
「勝手に使用しないでください」
つづく。